もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

主体性とはなんぞや

お久しぶりです、もりよしです。

本日は、自分自身を見つめるために、主体性とは何かということについて語っていこうと思います。

個人的には、主体性のある人というのは、自分なりの考えをしっかりと持っていて、それに基づいた行動力を伴っている人であると僕は思います。

主体性の対義語として、受動性が挙げられます。

受動性である人とは、人の影響をとことん受け入れる人のことであると思います。

もちろん、どちらも素晴らしい性質であり、この二つの性質をバランスよく持ち合わせたいと誰もが思うのではないでしょうか。

まず、いったんこの二つの性質のメリットについて自分なりにまとめていきます。あくまで、僕の独り言なので、さらっと見て貰えば幸いです。

主体性

・行動が早い
・リーダー的な存在として人をまとめる力が身につきやすい
・ポジティブに物事を考えがち
・他人の意見に簡単に流されず、自分の意見と照らし合わせて、物事を考える力がつく など

受動性

・色んな情報を吸収する能力に長ける
・自分よりも他人を優先できる→調和を心がける など

なるべく僕の偏見が混ざらないように努めたつもりですが、主体的のほうが、メリットが多く挙がりました。

ちなみにですが、今現在僕は受動的な人間に近いと自負しています。

たしかに、受動的な性格は何も悪くはないと思いますが、個人的には主体的な人間を目指していきたいと考えています。

なぜなら、上に挙げた通り、主体的な人の方がメリットが多いと感じるからです。

受動的な人は、今現在の社会では損をするような気がしてなりません。

まじめに勉強して、大学に入り、卒業して、企業に入社したはいいが、受け身な性格ゆえに自殺に至ってしまう人が後を絶ちません。

僕が受動的な人間だからこそ、わかることがあります。

それは、受動的な人は我慢をしすぎてしまうということです。

たしかに我慢をすることは、生活上避けては通れないことですが、し過ぎる必要は全くありません。

我慢をし過ぎることがストレスの原因に直結してしまいます。

僕はまだ受動的な人間ですが、一度きりの人生を楽しく送りたいからこそ、主体的な人間になりたいです。

改めて言いますが、受動性は何も悪いことではないし、むしろ良い性質です。

しかし、今の社会では受動的な性格はあまり自分にとって良い方向に向かいにくいと思います。

人の意見を吸収ということは、非常に良いことですが、人に意見を植えつけられることは、良いことだとはあまり思いません。

僕は、主体的な人間を目指していますが、今自分に備わっている受動性をゼロにする気は、さらさらありません。

この前読んだ本によると、インプットとアウトプットの黄金比率は
3:7だそうです。

すなわち、受け入れる3割、自分から発信する7割が理想なんです。

だから、極端な話、主体性10受動性0では、何も受け入れることはないので、成長もなにもありません。

ただ、自分の意見は絶対に正しいから他の人の意見は聞かないとまるで意地を張っているかつての王様のようです。(別にかつての王様をディスってるわけではない)

自分の成長を妨げないようにするためにも、主体性と受動性の調和は非常に大切です。

では、主体性を兼ね備えた人になるためにはどうすればいいのか。(これから、まだ受動的な人間であるはずのこの僕が偉そうに主体的な友達から聞いた主体性になるための方法を語ります。「こいつまだ受動的な人間なくせに何偉そうに語ってんだよ」という憎しみの気持ちを持った上で続きを楽しみましょう。)

前文にも書いた通り、僕は非常に主体的な友達を持っていると自負しています。

その友達から聞いた方法とは、自分が本当にしたいことは何なのかを考え、思いついたことをすぐやってみて、体験したことを発信するということです。

特に、大事なことは思いついたことをすぐやってみるということです。

人間は本能的に、考えすぎると「やっぱりやめておこう」と考えてしまう生き物です。

やりたいと思ったことを打ち消してしまうことは非常にもったいないです。

自分の可能性を狭めているようなものです。

体験したことは、失敗だろうが成功だろうが成長に繋がります。

僕は、大学に入ってから旅行に行くことが趣味になりました。

自分が本当にしたいことをしている瞬間はとても楽しいです。

皆さんが我慢をし過ぎず、楽しい生活を送れるように心から祈ってます。

偉そうなことばかり言ってますが、自分もまだ受動的な人間です。

長ったらしく偉そうなことをいって申し訳ございません。

早く自分も主体的な人間になるように、日々精進してまいります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。