話が上手い人が羨ましくて堪らない今日この頃、どうも、もりよしです。略して、どうもり。更に略して、どり。更に略して、ど。更に略して...っっっっってもう略せられやんがな!!
(これが俗に言う関西風ノリツッコミというやつである。)
話が上手くなりたい。
最近はただその一心である。
自分がこの感情を抱いたきっかけについては、今月の初めあたりにまで遡る必要がある。
「えっ?遡るのかよっ!」なんて言わないで、静かに話を聞いて頂けたら、幸いである。
五月に入ってすぐのとある日、僕はパワーポイントを開いて授業の資料を作成していた。
翌日のzoom授業の準備の為にだ。
ここで、ブログを読んで頂いている方々の頭には、はてなマークが浮かぶことが容易に想像できるので、補足を入れておこう。
このままだと「なんで大学生のお前が授業の準備をやっているんだ。」ということになりかねない。
僕は高校時代、私営の塾に通っていたのだが、ありがたいことに大学三回生になった今もなお交流を持たして頂いている。
その塾では、毎月、先生が塾の中でのニュースを取り上げ、それを文字に起こしたり、そのニュースに関わる写真をのっけたりした新聞のようなものを発行するのだが、その新聞のワンコーナーとして僕がコラムを執筆させて頂いていたのだ。
コラムの内容は、日本の歴史に関してのことだった。
先生の方からは何を書いてもいいとのことだったので、僕は自分が大好きな、というか僕が歴史を好きになるきっかけとなった歴史人物である足利義政についてのコラムを書かせて頂いた。
そして、コラムの文を先生に送ってから一ヶ月ほどの時間が過ぎた頃、たまたま先生とライン通話で話をする機会があったので、僕はコラムの評判ついてまるで某企業が販売している梅酒のようにさらりと聞いてみた。
聞くところによると、「足利義政についての見方が変わった」とか「こういう歴史の解釈もあるのか」と現在の塾の生徒から言って頂いたらしく(お世辞でも嬉しい)思いの外、コラムの評判が良かったらしい。(ということにしておこう。)
そこから、先生と話が弾み、事の成り行きとして、「今度はコラムではなく、授業をしてほしい。」ということになったのである。
コラムなら、今回のようにブログ感覚で書けるし何の不都合もなかったのだが、授業はあまりしたことがなく、経験も全く乏しいこともあり、その話を頂いた時の僕の心には少し不安要素が付きまとった。
授業はしたことがないわけではない。
高校時代、野球部全員の前で先生志望の生徒がおのおの興味のある科目の授業を作り、一番良いとされる授業を先生志望ではない生徒に投票で決めてもらうというイベントがあり、僕はその際に世界史の授業を皆んなの前でやった。
あまり、覚えてないが「世界史はRPGだ。どこどこの国の王様が誰々に助けを求めて、隣国の王様を倒し経験値を得るストーリーが世界史なのだ」とか「第一次世界大戦をAKBのファンとももクロのファン同士の喧嘩に置き換えて考えてみよう」という今考えるとなかなか訳の分からない授業をやった。
「なんだそのヘンテコな授業は?これのどこが良い授業なんだ?」とお思いになったことでしょう。
しかし、そんな皆さんの思いとは裏腹に僕はこの授業で優勝をかっさらう。
少々自慢くさい言い方に聞こえるかもしれないが、僕は自慢をしたいわけではない。
優勝できたのはたまたまのことである。
この授業は、野球部内で行なったものであり、もちろんのこと授業を受ける側は顔見知りであるので、完全にホームなのである。(野球だけに。だれか座布団頂戴)
僕が優勝出来た所以があるとするならば、ただ一つであろう。
良くも悪くも発想が奇抜だったから。
ただそれだけであろう。
他の皆んなが真面目な授業をしている流れに抗って、変な授業を行うやつがいれば目立つのは当たり前。
ただ、目立ったというだけのことである。
そりゃ目立つわいな。
英語の構文についての授業の後に、世界史はRPGだとかヘンテコな論を提唱し始めるのだから。
この授業について、今冷静に考えると、授業の内容は良くないけど、パフォーマンスとしては悪くなかったと思う。
「世界史はRPGだ」という掴みはバッチリ決まっていた。
皆んなが抱く世界史についてのイメージは、暗記で面白くないとかカタカナが多くて覚えにくいと言ったものであろうという憶測の上で、観客に世界史のイメージについて語ってもらったのだが、それが予想通り、暗記だから嫌だというものであった。
この世界史に対する負のイメージがフリとなり「世界史はRPGだ」という掴みが成功し、ウケを取ることができた。
(当時の僕は、緻密に、ここでフッといて落とそうなんていうお笑いの知識がなかったので無意識にやっていた。)
この経験から得たものは、知識があるから面白い授業が作れるわけではないということ、かといって知識がなければ授業として成立しないということである。
ここでいう僕の授業は明らかに後者である。たしかに優勝はしたが、これは授業ではない。言うなれば、コントだ。
そう考えると、改めて先生は凄いという答えに行き着く。
なぜなら、先生は莫大の知識を蓄えた上で、パフォーマンスとして面白い授業を行わなければいけないからだ。
パフォーマンスとは要するに話し方とか授業の組み立て方といった教育方法論的なことである。
パフォーマンスの面は悪くはなかったのかもしれない。
今考えると掴みの前にたっぷり間を取れていた。
無意識のうちに。
僕はごくごくごくごくごくごくまれにパフォーマンスが群を抜くことがある。(決して喉が渇いているわけではない)
大学のサークルの新歓で、当時一目惚れした異性とのデートプランを考えるというアイスブレイクを行なった際もパフォーマンスは上々で、僕自身得体も知れぬ集中状態、カッコつけていうならばゾーンに入っていた。
(もし、当時一目惚れした異性がこのブログを読んでいるとしたら、もう時効なので許してください。)
教育方法論の知識もゼロでポテンシャルだけで挑んだワークショップだった。
この時の僕が人生で一番上手な話が出来たのではないのだろうかというくらい良かった。
この時の僕は熱かった。恋に燃えていた。
(異性よ、時効なんで許して)
その熱さがきっとユーモアさに直結したのだろう。
僕は「一泊2日鎌倉旅行って良くない?まず電車で横浜までいって、山下公園めぐりーの、中華街いきーの、そして、小田原で小田原城いきーの鎌倉いきーの、だいぶつみーので泊まりーの。...割愛 このプランどうっすか?!」と聞いている側に問いかけた。
(後に、講義で習うのだが、この手法は「発問」という授業にはなくてはならない大切なものらしい。これを無意識に僕は行なっていた)
そしたら、ある子が「東京の方がいいんじゃないですか?」と意見をくれた。
それに対して僕は、「なるほど。東京ね!そうだ!その子(一目惚れした異性)はお笑いが好きだから、新宿のルミネ巡りとかもいいかもな?これについてどう思う?!(時効なので許してちょんまげ)」と答えた。
(彼はポテンシャルで「同意」して、またしてもポテンシャルで「発問」を行う)
こういったことを繰り返し、ワークショップは終了した。
これは今振り返っても、もりよしの人生史上最高のプレゼンだった。
少し話が逸れました。
時を戻そう。
塾の先生からzoomで授業をやってくれと頼まれた僕は、自分で色々悩みながらパワポを作り、友達に見てもらった。
友達に見せたものはまたしても授業ではなかった。
その上、パフォーマンスの面ももうまくいかなかった。
授業を終えた後、友達から沢山のご指摘を頂き、色々と改良を加えてから、もう一度授業を行なった。
2回目の授業は1回目よりもはるかに良かったし、これなら授業として成立するのではないかという実感もあった。(いや、間違いなく授業として
成立してた。)
そして、迎えた当日。
考えに考え抜いた授業内容に、複数人の友達の指摘を踏まえた授業であるにも関わらず、パフォーマンスが疎かであったが故に、手応えのある授業はできなかったのである。
ここでもりよしは喋りが上手くなりたいと改めて思ったのである。
そこで、反省としてこの授業(授業として成立しているがパフォーマンスが良くなかったもの)ともりよしの史上最高のプレゼン(授業ではないがパフォーマンスがえげつなく良かったもの)を比較させて考えてみた。
何が違ったのか。
明らかに「熱さ」であった。
プレゼンの際は、「俺は一目惚れした子とデートにいきたいんだぁ!!」という気持ちが心の底から込み上がっていた。
だからこそ、面白いものに仕上がったのだと思う。
しかし、今回の授業では、その「熱さ」が足らなかった。
「俺はどうしても君たちに歴史の面白さを伝えたいんダァァ!!」ぐらいの気持ちでいけば、もっと面白い授業になったのであろう。
「熱さ」というのは授業にとどまらず、物凄く大事なものであるということが今になってよくわかった。
少し話は逸れますが、芸人の中川家の剛さんがM-1グランプリについてこんなことを言っていた。
「漫才の中でこの一言を言いたい!!っていう気持ちが強い人が優勝するような気がする」と。
授業においても、全く同じだろう。
何が何でもこれだけに生徒たちに伝えたいという思いが強ければ強いほど面白い授業になりうるのだろう。
僕は今のところ先生になろうとは思ってないですが、教育実習は行うつもりなので、その際には、熱さを内に秘めて頑張ろうと思います。
僕にしてはなかなか筆が進みました。
長い乱文ですみません。
ありがとうございました。