どうも、もりよしです。
最近、京都について興味を持ち、京都の歴史や文化を紐解いていきたいと思い、勉強しています。
なので今回は京都について話をしていこうと思います。
僕の中で京都といえば、日本文化の象徴であり、かつ独特な雰囲気が漂っているイメージがあります。
今現在の京都らしさといえば、よく寺や仏閣、庭園などが挙げられますが、そういった独特な風景はもともと根付いていたわけではありません。
寺や仏閣は主に飛鳥時代に中国から伝わった仏教の影響で日本の各地に建てられました。
そして、鎌倉時代になり、鎌倉幕府が中国によってもたらされた禅宗という座禅を重んじる大乗仏教の一派を保護し、それが京都に持ち込まれて禅宗が京都で著しく発展していったのです。
僕は京都の人々はすごいと思います。
なぜなら、オマージュがうまいというか、モノマネから初めて、それを我流に固めていく能力に長けていると思うからです。
僕は、小学生と高校生の時に京都を訪れて、大学に入ってから鎌倉を初めて訪れました。(まぁ、鎌倉の大仏においては、顔しか見れませんでしたが.....)
京都と鎌倉を訪れてみて思ったことは、どちらも街なみや雰囲気は似てるけど、何かが違う気がするということです。(「何か違うって何が違うねん!」と思う人がたくさんいらっしゃるでしょうが、僕にはまだ皆目がつきません、ごめんなさい、これから勉強してこの違いを見つけ出せるようにします。)
あと、最近栃木県の日光を訪れたのですが(詳しくは、以前のブログを参照してください)、日光でも鎌倉や京都に近しい雰囲気を感じ取りました。
「ということは、日光も禅宗が盛んだったのかな?」と思い、インターネットで調べてみると、面白いことがわかりました。
上の写真は日光市周辺の禅宗にかかわる場所を赤の印で表したものです。
この写真をみて、僕は、自分が感じた感覚はあながち間違いではないと思いました。
「百聞は一見にしかず」という言葉が示しているように、やはり実際に行ってみることは非常に重要なことなんだと実感しました。
少し話がそれましたが、改めて京都らしさについて話をしていきます。
「京都らしさとは何か」という問題を考えるにあたって、まず足利氏と寺院の関係について説明させてください。
皆さんは天龍寺という寺をご存知でしょうか。(ちなみに、僕は天龍寺について勉強する前、名前を聞いたことがある程度で、天龍寺についての知識は皆無でした。テヘッ)
この寺は、室町幕府第一代将軍足利尊氏らが後醍醐天皇を弔うために建てたものです。
武士であった足利尊氏にとっては後醍醐天皇に対しての申し訳ない思いなども天龍寺の創建に込められているのでしょう。
次に、室町幕府第三代将軍足利義満が建てた鹿王院という寺についての話です。
足利義満は厚い舎利信仰を持っていました。
舎利信仰とは、仏塔や遺骨などを礼拝するものです。
鹿王院の舎利殿というところには、鎌倉幕府第三代将軍源実朝が宋から請来したとされる仏牙舎利(釈尊の歯)が祀られています。
ちなみに、この歯が米粒に似ていることから、寿司屋さんでよく耳にする「シャリ」という言葉が生まれたという説があります。
義満にとってこの歯は、「武家政権の正当性、権威を表すもの」でした。
この二つの寺院の歴史を学んで見えてきたものがあります。
それは、足利尊氏の天皇を尊重する気持ちと足利義満の武家政権の力を民衆に見せつけたいという2人の将軍の気持ちが合わさったものが、京都らしさを作っているのではないかということです。
教科書などでよく使われる表現で言えば、「公家文化と武家文化が融合したものが京都らしさなのではないのだろうか」ということです。
「では、鎌倉らしさと京都らしさの違いはなんだろうか。」
僕は、この問題についてこれから勉強していこうと思います。
いつもだらだらとすみません。
ありがとうございました。