もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで

どうも、もりよしです。

今回は、「ノルウェイの森」や「1Q84」などの数々の有名な作品を執筆した村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について書いていこうと思います。

ちなみにこの本は、実家の自分の部屋を散策している時に、たまたま見つけました。

中学校の時に読書感想文の宿題があり、その際にこの本を読みました。

中学生のもりよし少年は、「この本、難しすぎてよく分からん」とブーブー文句を言いながら感想文を書いておりました。

かつてブーブーと文句を言ったこの本をなぜ読もうと思ったかというと、「今現在の僕が読んだら一体どんな感想を抱くのだろうか」というちょっとした好奇心が生じたからです。

ところで今更なんですが、タイトルが独特すぎません?

僕が中学生の時に、この本を買った理由は、おそらく題名が独特で面白そうだったからなんでしょう。

とにかく、衝撃を受けたことを覚えています。

今考えてみても、やっぱり不思議な題名です。

「色彩を持たない多崎つくる」って、どういうことなんでしょうか。

人間は誰しも色彩を持っているのですか?

だとしたら、僕は何色なんでしょうか?(個人的には、消えかけの薄い紺色が腑に落ちるし、しっくりきてるんですが....。まぁこれから濃いパープルになれるように、精進していきます。)

考えだすと意外と面白くて、きりがなかったのでとりあえず、「色彩はたぶん個性のことなのかなぁ」と勝手に解釈しながら、この本を読んでいきました。

そして、物語の一文めで村上春樹の洗礼を受けました。

「大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。」

いと、をかし。感慨深い。

なんか、この文で心掴まれましたね。

始まり方が斬新すぎて、とても好きです。

小説のはじめの一文で、読者に「おもしろい」と思わせるのってすごい技術だと思います。

他にも、書き出しで美しい作品って結構ありますよね。

例えば、「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった」とか、

吾輩は猫である。名前はまだない」など。

個人的には、東野圭吾さんの「秘密」の書き出しの、「予感めいたものなど、何一つなかった。」っていう文が好きですね。

「この先で何らかのハプニングが起こりうるんだろうなぁ」とか「この話って一体どうなるの?」などと、読者の想像を一気に膨らませることが筆者の意図なんでしょう。

この本のこの1文も、考えさせられる要素が含まれています。

「ほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。」って、「じゃあそれ以外は何について考えていたのだろう?」とか、「にしても、七月から一月までっていう長い期間の中で自殺に至ろうとは思わなかったの?何か心の中につっかえてるものがあったのかなぁ?」などとたくさんの疑問が浮かんできます。

こういった僕の疑問は、読み進めていくにつれて、次々と解消されていきました。

それではこの辺で、この本のあらすじについて話していこうと思います。(少々、前置きが長くなりました。すみません)

主人公である多崎つくるは名古屋出身で、高校時代、ボランティアサークルに所属しており、そこで知り合った四人の仲間たちと非常に親しくなった。

その仲間たちと時間を過ごすことは、幸せ以外の何者でもなく、集まるたびに仲間たちに対する友情は深まっていった。

誰か一人が欠けると、その集まりは意味をなさず、五人がいないとその集まりは完成しない。

つくるは、この集まりを運命共同体とも感じるようになった。

しかし、つくるには少しがっかりしたことがあった。

それは、この集まりの中で、自分にだけ名前の中に「色」がないことだった。

ほかの4人には、青、赤、黒、白という「色」が含まれているのに、自分には含まれていない。

このショックを胸に抱きながら、つくるは高校時代を過ごした。

時は過ぎ、つくるは大学生になった。

仲間たちは、皆愛知県内の大学に進むことになったが、つくるだけ東京の大学に進学した。

そのため、夏休みなどの休暇には、必ず名古屋に戻り、みんなの家に電話をして、遊ぶ約束をし、どこかに集まって遊んだ。

ところが、大学二年生の夏。

いつも通りつくるは、友達に電話をかけるが、誰一人として、連絡がつかなかった。

その後も、何度も何度もメンバー1人1人に電話をかけたが、やはり繋がらない。

そんなある日、仲間の一人から電話で、「これ以上もう誰のところにも電話をかけて欲しくはない」と告げられる。

つくるは、この電話を受けてから、ずっと死ぬことだけを考えて生きるようになる。

「なぜ、自分はみんなに避けられるようになってしまったのか。」

つくるは、日にちが経つにつれて、このことを忘れるように努めた。

そして、時が過ぎ、36歳になったつくるは、あることがきっかけで、自分がなぜ避けられるようになったかについて答えを見つけるためにグループのメンバー1人1人のもとへ「巡礼」することになっていく。

まとめると、

つくるは高校時代、仲良し5人組の一員だった。

大学二年生のときに、なにかがきっかけで、仲良し5人組の輪から外れることになる。

36歳になり、なぜ自分が輪から外れなければならなかったのかを判明しようと4人のもとを訪れる。

こんな感じです。

内容を言い過ぎてもあれなのでここら辺であらすじは終わりとさせてください。(このブログの名前はあどーばたいずめんとだいありーなので....)

最後に、この本を読んで思ったことについて話させていただきます。

この本を読んで率直に思ったことは「誰にでも、個性はあるのではないか」ということです。

悔しいことに、僕自身は「自分の個性はこういうところだ。」とはっきり言える境地に達していません。

主観的に自分の個性を見つけるのは、とても難しいことだと思います。

僕自身の個性は、きっと僕より僕をよく見てくれる人(友達、家族、先生)の方が理解しているものなのでしょう。

つまり、「自分の個性を知るためには、相手を知ることが重要」なのではないかと思います。

この作品では、自分に自信が持てないつくるが、仲の良かった友達に会いにいき、話をすることで、自分を理解していく場面が細かく書かれています。

僕もつくるのように、自分の個性を出来るだけ理解するためにも、これからも自分と関わってくれる人との交流を大切に、日々の生活を送っていこうと思います。

長い乱文でしたが、ありがとうございました。