もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

森田佳希史

非常にお久しぶりです。もりよしです。「なんでこんなにブログの間隔が空いたのに、またブログを書こうと思ったの?」と聞かれても、これが僕にもわかりません。無意識のうちにはてなブログを開き、今現在こうして文字を綴っています。


「自分は一体何を書きたいと思ったのか?」


今、気がつきました。僕はおそらく自分史か書きたいのです。なぜ、自分史を書きたいと思ったのか。それは、もうすぐで社会に出るという焦りを感じ、そのために自己分析をして、自分はどのような人生を送りたいのか、どんな職に就きたいのかなどなどについて改めて真剣に考えてみようと思ったからです。

恥ずかしいことに自分は大学に入ってからも自己分析、まぁ言い換えれば自分を客観的に見るということを全くせずに日常を送ってきたこともあり、そのせいで色々な人に迷惑をかけてきました。そんな僕が、今自己分析をするのは、今までの失敗をフィードバックし、これまで犯してきた数々の失敗のおかげで、将来何かしらの成功を収めることが出来ますようにという一種の希望が芽生えている証拠とも言えるかもしれません。自分がこんなことを真剣に考えられるようになったことは、少し前までの僕には考えられないことで、そう考えると少しは成長できたのかもしれません。


少し話はそれますが、太宰治の「人間失格」の第一の手記の有名な書き出しで「恥の多い生涯を送ってきました。」ってありますよね。自分はこれくらいのことを言えるぐらいもっと失敗をしなければならないとふと考えることがあります。他の人と比べて人生経験の浅い自分はもっと色んな壁にぶつからなければならないのに、その壁から逃げてるばかりなのです。最近そんな自分のことがふと情けなく思えてくるのです。これが自分の1つの個性ではあるのですが、この性質は直していきたいと思うんです。


話をどんどん逸らしてしまいますが、DREAMS COME TRUEの「何度でも」っていう歌の中に、「10000回だめでヘトヘトになっても、10001回目は何か変わるかもしれない」っていう歌詞ありますよね。最近「これ僕の為の曲じゃん」とふと感じます。自分は、一万回失敗することを恐れているんです。結局、自分は自分に甘いということがよく分かるし、凡人なのに一万回失敗しようとするがめつさもないのです。


こんな自分を変えたいという決心から今このブログを書いているといっても過言ではないです。

では、本題である将来のヒントにつながる何かを得れるように、過去を振り返っていこうと思います。(前置きが長くなってすみません)


自分は1999年9月23日に和歌山県の病院で生まれました。その後、三重県の津市で幼稚園の年中まで過ごしました。ここまでの自分のことで思い出せることといえば、自分はおそらく元気でどちらかといえばうるさいくらいの子供だったような記憶があります。今もそうですが、この当時からお笑いが好きでテレビにかじりつくようにバラエティ番組をみてたり、ハリケンジャーガオレンジャーなどの戦隊モノ、トミカプラレールにもハマっていた記憶がある。ゲームも好きだったかもしれない。幼稚園の頃から、初代のプレステで三国志をやっていた気がする。あと、なんといっても歌が大好きで、幼稚園や家に限らず、どこでも歌を歌っていた気がする。幼稚園の卒業式かなんかで急に歌を熱唱して、周りの保護者や先生などから笑われたという記憶が鮮明に頭に浮かぶのだが、これは本当のことだったのだろうか。幼稚園はとにかくこんな感じだった。親からすれば、育てるのに大変な子供だったかもしれない。ありがとう。お父さん、お母さん。そして、おじいちゃん、おばあちゃん。


小学校の時も、割と変わらない気がする。とにかくうるさくて、おかしなことを言ったり、おかしなことをしたがる子供だった。もしかしたら、幼稚園よりもうるさくしてた可能性もある。小学校で暮らした6年間を振り返って、特に記憶に残っているのは、当時自分は野球クラブに入っていたのだが、その監督に言われた一言である。確か、何かの大会に勝った後の打ち上げか何かで、一人一人の部員の印象を監督が語るというコーナーがあったのだが、その時に監督が僕の印象についてこう語った。


「この子の良いところでもあり、悪いところでもあるのは、無欲だということです。」


この一言が非常によく覚えているし、現在の自分の心の何処かにいつも付着している。子供というのは、ものすごく繊細なもので、特に自分はそうであったのかもしれないが、

こういった大事な言葉というのは、自然に無意識に感じ取ることがあるのかもしれない。たしか、お母さんも、自分の長所、短所について語ってくれた気がする。


「よしきの長所と短所は、マイペースなところだよ」


この一言もめちゃくちゃよく覚えている。この影響が強くて、今誰かに「お前の長所と短所って何?」って聞かれればすぐに「マイペースなところかな」と答えるだろう。あと自分は同級生からよくいじられたりしていた記憶もよくある。この時期の子供は、いじられると怒ったり、拗ねたりするイメージがあるのだが、自分はそうではなかった。


いじられようとみんなが笑ってくれるならそれで良い」というスタンスで学校生活を送っていた。今から考えると非常に恐ろしい。自分の友達は、本当に優しくて面白い子だらけでいじる程度で終わってくれたがもし、そこで終わらなかったと考えると本当に夜も眠れないほどです。そう考えると、自分は本当に周りのいた友達が本当に良い人だったおかげで楽しい学校生活が送れたと言っても過言ではないです。

こんな僕と友達でいてくれたみんな、ありがとう。


あと、社会の授業で習った銀閣寺に非常に興味を持ち、その日学校が終わってから走って家に帰り、料理を作っていたお母さんに向かって、教科書に書かれていた銀閣寺の写真を見せて、

「お母さん、ここ行きたい!」

と懇願して、夏休みに連れて行ってもらったこともよく覚えている。

実際に、銀閣寺に着くと、片手に持っていた教科書の写真と見比べて、「やっぱりほんまのはすごいや!」と感動していたことを後日お母さんから教えてもらったことがある。

ここから、自分は歴史に興味を持ち、両親や祖父母に常々「歴史の本を買って!」と駄々をこねていた。

この一連の話を思い出して、自分って面白いなと思ったのが、普通この時期の子供は金閣寺を好きになるはずなのに、金閣寺には目もくれず銀閣寺に食いついていたという事実である。


中学校も小学校と比べてあまり変わっていないと思う。中学校でも、野球部に入った。この3年間も、うるさくて、元気なやつ、そしていじられキャラって感じで周りからは思われていたのではないだろうか。この3年間で特に印象に残っているのは、部活で県大会に出場したことと、生徒会副会長、会長になったということである。県大会で負けた時には、ものすごく悔しかった。無欲である自分がここで悔しいと思えたのは、成長でもあり、退化であるとも言えるかもしれない。生徒会運営は本当に楽しかった。なぜ自分が会長になれたのか、今考えてみるとやはり、いじられキャラという要因が大きいのだろう。「しょうがないなぁ、森田が出るんなら入れてやるよ」と友達や先輩方に言ってもらえたのは本当に嬉しかった。こう言った言葉のおかげで、学校をより良いものにしよう!と意気込んで自分は学校内のイベントの企画などを真剣に考えた記憶がある。この時の、がむしゃらな精神は何処へ。今現在の自分にはこのがむしゃらさがものすごく乏しい。がむしゃらな精神は冷蔵庫の中や押入れから出てきてはくれないものだろうか。今振り返ってみて、思ったことは、中学生の時の自分は成長期でもあり、人生のピークなのかもしれないということである。自分は中学生時代をもっと振り返ってみるべきなのかもしれない。


森田佳希史2に続く。