もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

勉強って何のためにするのだろう

どーもー。もりよしですー。

ね。あー、ありがとうございます!

今イヤホンの耳につけるゴムのスペアを頂きました!

こんなん、なんぼあってもいいですからね。

(何を隠そう。これはミルクボーイさんのパクリである。)


クオリティの低いパクリ芸は置いといて、本題に参りましょう。

今回は「なぜ勉強をするのか」という誰でも一回は考えたことのある問題について僕なりの意見を論じていきたいと思います。

今でこそ僕はこういった問題について考えることが好きで毎日こういったことを考えて生活しているのですが、中学生や高校生の時のもりよしはこんなことを真剣に考えたことなど皆無でした。

おそらく、勉強はなるべく偏差値の良い大学に入って、なるべく収入の高い就職先に勤めるためぐらいにしか考えていなかったと思います。

でも、今現在の僕は、以前ブログにも書いた通り、世の中には正解などなく、上で挙げたようないわゆるレールの敷かれた人生と言われる人生は誰かにとっての最適解かもしれないけど、自分にとっての最適解ではないかもしれないという考えを持っているので、上で挙げた勉強の意義は少し曖昧だと感じています。


あっ。何でぼくがいきなり勉強の意義について考えたのか説明してませんでした。

最近自分は哲学に関心があり、哲学の入門書みたいなものを読んでいたんですが、これを読んでふと考えたのがこの議題でした。

余談ですが、哲学を勉強すると、何か現実世界とは異なる別の世界に行ったような感覚を覚えてしまいますね。

僕にとって哲学を勉強することは、まるで大麻でも吸ってる感覚です。

もちろん大麻など吸ったことはありませんが。何か物事の真理を追求しているという過程が、全ての物事をについて網羅したかのような錯覚を引き起こすのでしょう。

これはある種面白いことであり、ある種怖いことです。

哲学はどこか脱法的です。

だから、皆さんも哲学を勉強するときには、これは脱法的であるという自覚を持った上で、勉強することをお勧めします。

僕自身、これ以上哲学の議題について踏み込んでしまったらいけないかもしれないというアブナイ匂いを少し嗅ぎ取ってしまいました。

ドツボにはまると哲学ワールドから抜け出せなくなるかもしれないという恐怖感をものすごく感じました。

もちろん哲学は面白いものなので、哲学を志すことはいいことだと思うのですが。

だから僕は、哲学ワールドには踏み込まないようにしようと心がけながら、本を読んでいました。

ちなみに僕が読んでる本はこれです。

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この本ものすごく面白いのでお勧めです!

でも、哲学は脱法的だ!っていっておいて、それを進めるのは、麻薬とか覚せい剤を勧めるのとなんら変わらない気がしてきました。

逮捕されちゃう。あぁ、怖い怖い。


話が逸れに逸れて、これ以上逸れることなどあるのか?というぐらい逸れてしまいました。いつもながら。


本題に参りましょう。

「なぜ勉強するのか。」

僕が思うに、新しいものを生み出すすなわち創造するために僕たちは勉強するのだと思います。

そこで勉強の対象となるのが、歴史になってくるのだと思います。

私たちは常に新しいものを欲しています。

これは、音楽界や芸能界に限らず全ての業界においてもそうでしょう。

諸行無常というかなんというか。

僕が大好きな椎名林檎さんも「歌舞伎町の女王」という歌の中で、「一度栄えしものでも必ずや衰えゆく♫」とか、「人生は夢だらけ」という歌では、「この世にあってほしいものを作るよ〜🎶」といっております。

古き良きモノがいつか崩れてしまう。

それは、私たちの心の拠り所でもあり頼りにしているものだ。

そんな心の拠り所が崩壊したとしても、自分たちがその後生きていくために、新しい心の拠り所を発見しておく必要がある。

僕はこれが勉強の意義だと思うのです。

これに加えて、だからこそ僕は既存の文化をいろんなアプローチで保存しておく必要があると思うんです。新しいものを人間が生み出すことができるように。

僕は将来学芸員になって、博物館に勤め、過去の史料を保存し、文化を発信していくという夢、または、県庁職員になって、その地域の文化を発信していく夢があります。 

とにかく、僕は日本の文化が大好きなので、日本の文化を発信する仕事に就きたいと考えています。

正直、学芸員になろうが、県庁職員になろうが、会社員になろうが、何になろうが、僕がしたいこと・野望はこれです。

これまでの僕自身の気持ちとしては、文化を発信することは大好きですが、この行動に意義はあるのかとずっと疑問でした。

でも、今回勉強の意義について思考をしたことで、少し自分の夢の役割を認識できた気がします。

人間は生き残るために、幸せになるために、生活を楽しむために、本能的に新しいものを欲している。

そして、新しいものを作るために、一体何が新しいものなのか定めようと、既存の文化を勉強する。

世界はこんな感じで循環してるのだと思います。


今回哲学を勉強して、人類は階段のように進化していくという説はあまり的を得てないのではないかと感じました。

人類はきっと螺旋状におんなじことを繰り返しているのです。

だから、古墳時代の人々と現代を生きる私たちは何も変わらない。

これは歴史を遡れば自明の理です。

私たちは昔から争いを続けています。

軍事手段は違えど。

もう一つ例としてはルネサンス運動が挙げられるでしょう。

私たちは同じことを繰り返す。

perfumeポリリズムのように。


そう考えると、歴史は暗記ではないということがよくわかりますよね。

大事なのは流れです。どう考えても。

「この後日本社会はどうなるのか」ということを知りたければ、過去の歴史を遡ればいい。

(偉そうにいってますが、僕自身将来の日本の状況について全然わかりません。これから歴史を学んで徐々に知識を養っていきます。)

過去に移民が入ってきて社会が混乱したドイツを勉強すれば、グローバル化の波に飲まれている日本において、何か突破口を見いだせるかもしれない。

(将来の日本について、何の最適解も見出せてないのにこんなことよく言えるよな自分。)


今回は話が僕にとって壮大すぎて、僕自身あまり言いたいことを整理できませんでした。

もっと知識つけます。

ありがとうございました。