もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

最近よく考えることをもう少し掘り下げて考えてみた。

どうも、もりよしです。


今回は前回述べさせていただいた「人生において、何が正解なのか」という問題について、もっと深く考えていこうと思います。


なぜこの課題についてもっと深く考えていこうと僕が思ったのかというと、最近読んでいる「論語と算盤」という本の中にまさしくこの課題について論じられている箇所があり、僕自身に納得のいく形で身体の中にすっと入ってきて感動したので今回のような行動に至りました。


論語は皆さんが知っている通り、儒教家である孔子とその弟子とのやりとりを記録したものです。昔学校で習いましたね。あの時は「こんなもの読めるようになって何になるというんだ」とずっと考えていましたが、今はその真逆です。この作品をもっと真剣に勉強すれば良かったと後悔しています。国語の教師はビックボイスで論語の重要性を説くべきだと思います。中高生の人がこのブログを読んでいることはほぼ皆無だと思いますが、しっかり論語に対して向き合うべきです。まぁ、僕が言ったところで説得力はすずめの涙ほどもありませんが。


自分は今T留文科大学で地域社会学科という学科に所属しており、ゼミを通して地域史について勉強することを自分なりの最適解としているのですが、この論語を読んで国文学科に転科して論語をもっと深掘りしていくことが最適解なのかもと思うぐらい論語ってすごいなと実感しています。自分ってすぐ心移りしちゃうんですよね。良くも悪くも。だから、周りから見れば、芯がないように感じられるのでしょう。でも、しょうがないんですよね。これが僕なので。性格は変えられません。これは常々考えることなのですが、「自分は、自分という枠を超えられない」という仮説は真実なのだろうと思います。とにかく自分は自分という生き方をするべき、もりよしはもりよしらしく生きるべきなのだと思います。「じゃあもりよしらしさって何なの?」そんなこと分かりません。ていうかそんなこと分かっちゃったら面白くないじゃない。でも、これからこの課題は僕の体に幽霊のようについてまわってくるでしょう。もりよしらしさに正解はありませんが、最適解は見つけられるように頑張ります。


では、本題に参りましょう。「人生に正解なんてあるのか」という課題についてです。前回のブログでの僕の仮説としては、「人生に正解なんてないけど、最適解はあるのではないか」と言いました。改めて自分の仮説を見つめ直すと、抽象的ですね。これももりよしらしさのひとつだとは思うのですが。


時を戻そう。(ぺこぱより引用)(抑えきれないお笑い愛)


論語には「お天道様は、是か非か。」という課題が論じられています。この課題はすなわち「何が正解で何が不正解なのか。」ということです。僕の疑問に対する答えというか最適解が分かりやすく書かれてありました。人って不思議なもんで、自分が何かに対してアンテナを立てたらそれについての情報が自然に収集されるんですよね。これって本当に不思議です。時を戻そう。ここでは、「志」と「振る舞い」の観点が重視されています。


少し疲れてきました。ちなみにですが、このブログはバイトの休憩中に書いています。ここまできたら、もう「執筆中毒」です。病気です。だからバイトが終わったら、即刻病院に行ってきます。(嘘です。すぐ家に帰ります。)


時を戻そう。


もう。つかれたので。こんかいのけつろんをかんたんにいいましょう。(もうもじへんかんするのもめんどくさいです。)


論語には「人のためになること」が最適解だとされています。


そして、これをもとに考えると、

「志」<「振る舞い」

という式が生まれるのは分かりますよね。


つまり、志がいくら高くても、その志を振る舞いで示さなければ、それは最適解にはなり得ないということです。


こんなこと言われたら「志」も「振る舞い」も悪い僕は一体どうすればよろしいのでしょうか。誰か教えて下さい。でも、これって割と当たってると思うんですよね。たまに、本当はいいやつなのに、周りからあまりよく思われてない人っていますよね。悲しいことにこれは振る舞いが伴っていないということでしょう。そして、逆に言えば、「志」が悪くても、「振る舞い」がいい人、表現力のある人、コミュニケーションが上手い人は、みんなからよく思われるということです。たしかに、当たってるかも。結局人から好かれる人って、コミュニケーションが上手なんですよね。僕にとってこういう人は憧れであり、人間らしさが非常に伴っているので、大好きです。


ちなみにですが、上の教訓は学問にも結びつけても語られています。これは、大学生には心に刺さる教訓かもしれません。


孔子は言います。


いくら知識があっても、活用できなければ意味がないと。


なるほど。いうねえ。孔子様。


結局は活用なんですね。これは、肝に銘じないといけないなと思いました。僕らがいかに知識があることを他人にみせびらかしたところで、孔子に言わせれば「だから、何」となるわけです。ものすごく納得です。かっこいいじゃないですか。孔子様。

(こんなに孔子の思想を語ってたら、マジの儒教家だと思われてるかもな。これはマズイマズイ。)


とにかく僕は、もっと志高く、そしてそれ以上に振る舞いをよくするようにできるように頑張ります。とにかく、いろんな人と喋る練習をしたいと思います。家にこもりがちでは振る舞いも上達しないことにようやく気づきました。てれれれてっててー。よしきはレベルが上がった。もう疲れてるので、今日はいつもよりはちゃめちゃです。ありがとうございました。