もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

森田佳希史最終章

どうも、もりよしです。

略してどうもりよし。(相変わらずセンスないなぁ)


前回、ラストスパートとか言っておきながら殊の外ブログ書いてて一人で盛り上がってしまったので今回に至りました。今回で森田佳希史は完結させる予定です。ていうか、させます。絶対に終わらせます。


前回までで、もりよしの大学生活までの歴史を語ってきました。確か前回にグループを脱退して、またカムバックしたというところまでお話ししました。では、続きを語っていきましょう。


グループにカムバックしてからは、もうみんなに迷惑はかけられないという思いと今まで以上に自分が心の底から楽しめることを考え、それを踏まえた上で、将来自分はどんな職業につきたいのかを定めたいという思いが相まって、日常生活の全てにおいて、真剣に取り組むようになります。(まぁ、のちにまたもりよしは大大大失敗を犯すんですがね。ちゃんちゃん)とりあえず、自分は興味分野を広げたいと思ったんです。自分が先生になりたいと思った要因の一つとしては、先生という職業が学生にとって身近な職業だったからという理由が確実にあると思います。身近すぎるが故に、自分の将来の夢が先生というものに偏ってしまったいたのです。まぁ、これは別に悪いことではないと思いますが。でも、自分は明らかに先生という存在のインパクトの強さで、他の職業を全く見据えないで大学生になってしまったのです。こういうことは、別に僕だけじゃなく、他の人にも当てはまるのではないでしょうか。少し話が逸れてしまったので、本題に戻りましょう。自分は興味分野を広げるために、色んな人に話を聞いたり、インターネットや本から情報を得たり、とにかく自分の興味アンテナがビビビッと少しでも反応したものにはあれこれと手を出した記憶があります。一時期、ワインにハマって図書館に行きワインの歴史という本を読んだり、ワインセラーでバイトでもしようかと考えていた時もありました。なぜワインに興味を持ったのかですって?なんかオシャレ感が半端ないからにきまってるじゃあーりませんか。このほかになにか理由がありましょうか、いや、ないよね....


いや、他にもありました。僕フランスの文化や歴史にも興味があったんですよ。(今も多少ありますが)フランスといえば、ボジョレヌーボーになぞられるようにワインのイメージが強いですよね。この影響もあって自分はワインに興味を持ったんです。なぜ、フランスに興味を持ったのかって?それは、オシャレ感が半端ないからにきまってるじゃあーりませんか。(デジャブ)


話を逸らさせてください。フランスめちゃくちゃ行きたいんですよ。なぜ行きたいかって?それは、オシャレ....割愛)ルーブル美術館とかシャンゼリゼ通りとか色々巡りたいんです。これは完全な思い込みだとはおもうのですが、フランスには何か独特の雰囲気というか世界観を感じるんです。なんでだろう。言葉一つとってもなんか趣を感じちゃうんですよね。ボンジュールってかっこよくないですか?いや、どこらへんがカッコいいのか教えてと言われれば、それまでなんですが。


まぁ、話を戻します。とにかく興味の範囲を広げることに重きを置いて生活していました。だから、講義は全授業真面目に聞いていたつもりです。どこに自分の興味アンテナが電波を感じ取るかは皆目がつかないので、先生の雑談であろうが、暴言であろうが、ロバのように耳をすませて聞いていました。あと、この時期から「なぜこれはこうなのか」という思考をするようになりました。今になってようやくわかりましたが、この「なぜの精神」は本当に大切だと思います。なぜ?は学問の始まりであり、創造の始まりだと感じています。もっと早くこの思想にたどり着きたかったとつくづく思います。例えば、「なぜ人は、挨拶をするのか」大学に入るまでの僕はそんなことなど考えたことはナッシングトゥーマッチでした。答えはおそらく、その人と話をしたいから人は挨拶をするのだと思います。いわば、挨拶はコミュニケーションの潤滑油みたいなものだと。このように考えると、毎日は物凄く面白いものになります。自分はこの「なぜ思考」を始めてから、隙間時間や暇な時間が面白いものになりました。電車の中でも、街の風景を見ながら、なぜこの辺りは畑が並んでいるのだろうとか。なぜあんなところに銅像を建てているのだろうとか考えていると結構楽しいもんです。みなさんもよかったらぜひこの思考で生活してみてください。


この思考のいいところは、自分で考える癖が身につくということです。何も、答えを出す必要はありません。考えることに意味があると思います。パスカルが言ってるように「人間は考える葦」なんです。この思考から自分は受け身状態を少しずつ改善し、主体性を鍛えていきました。そうこうしているうちに、自分の夢が見つかってきたんです。それは、学芸員になることです。なぜなりたいと思ったのかというと、昔から好きだった歴史と、大学に入ってから興味を持った日本の地域文化の知識を合わせて、それを博物館で紹介できるなんてこんな面白いことはないと思ったからです。この夢は今も継続して願っています。(また誰かに「よしきはなんで学芸員になりたいの?」と言われて黙り込むこともありうるかもしれませんね。その時はまたブログに書くので、その文章を見て思いっきり笑っていただければ光栄です)


そんなこれまで偉そうに語ってきた僕ですが、学芸員になるという夢を見つけた後にまた大失敗を犯します。率直にいえば、リーダーという役割になり、みんなをまとめるという立場に立ったにもかかわらず、サークル運営はグダグダ、イベントの準備はグダグダでとにかくサークルメンバーに多大なるご迷惑をおかけすることになったのです。(元生徒会長でしょ?何やってんの?など罵りたい人は罵声をあげても構いません。)


ここでまたグループのみんなから信用を失うことになります。波瀾万丈とはこのことです。僕、しくじり先生でれますね。てか、ふつうに大学中にやりたい。冊子作って「では、次のページ」とか言いながら。


具体的にどんな失敗をしたのか。はい、期日までに出さなければならないものを出さなかったんです。(罵りたい人はどうぞご自由に。

例)みんなで声を合わせて、せーの、もりよしダメ人間!人間失格!)

もうね。情けないどころじゃなかったっすよ。何してんだ自分。で、また落ち込んじゃうんですよね。こんな時間が無駄オブ無駄であるというのに。ここで、「自分は仕事ができない、要領が良くない」という残酷な事実を実感します。そこから、器用に仕事をこなせるような人間になりたいと思うようになります。てか、今もそうです。まだまだ自分は高倉健並みに不器用な人間です。この失敗から自分はメモを取ることが習慣になりました。大事だと思ったこと、近日中にやらなければいけないこと、予定などは決まり次第メモに書くようにしてます。これによって、自分のタスクが明確になり、タスクの処理能力も上がった気がします。(※あくまで個人の感想です。)そんなメモが今なら何と三冊セットでしかも、それに万年筆をつけてお値段が!!なんていう冗談は一旦横に置いときます。


リーダーって難しいですよね。いまさら、言うまでもなく。なんか、色んな仕事をこなせて、困っているメンバーがいたら助けてあげたり、色んな人のやる気をつけさせたりとやることは多いんでしょ?って僕もリーダーとしてやってた時思ってました。でも、多分違うんですよね。リーダーは、どっしりしていればそれでいいんです。何も仕事ができなくてもいい。ただ、ブレないところはブレずにしっかりと仕事を分担する。そして、感謝の気持ちを忘れない。この3つができればいいと思うんですよ。自分は器用じゃないくせに、あれこれ一人で抱え込んでビックミステイクをしてしまいましたが。


こう見ると、失敗した時は本当に苦しいんですけど、今振り返ってみると本当にいい経験をしたと思います。やっぱり人間は経験したもんがちだと思います。だからこそ、自分は真面目なことからバカなことまで一生懸命というか楽しくできればと思い、生活しています。これまで長々と偉そうに文章を書いてきましたが、自分はまだまだ凡人で経験不足の人間です。これからもどんどん壁にぶつかって、落ち込んで、成長してという循環を続けていきたいです。これで一応森田佳希史の幕を降ろさせていただきます。こんなしょうもない話を最後まで読んでいただいたみなさんがいらっしゃるならば多大なる感謝の意をこめて、締めの言葉とさせていただきます。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

森田佳希史3

さぁ、ここまで語ってきた森田佳希史もラストスパートです。(なんかこんなこと言っちゃうとまるで僕がもうすぐ死ぬみたいな言い方ですが。)

あっ、自己紹介忘れてました。どうも、もりよしです。


前回は、中学校・高校時代のもりよしを振り返ってみました。さぁ、今日は大学生活を振り返っていきましょう。(注意。まるで大学生を終えたみたいな言い方ですが、僕はまだ二回生です。)


まず、大学受験の話から始めましょうか。大学を選ぶ際に、

森田佳希史2

どうも、もりよしです。

では、前回の続きに参りましょう。

前回は自分の幼稚園時代から中学校時代までを振り返って見ました。確か、部活動の県大会での話と生徒会長になった話をしたんでしたっけ。そうですよね。


じゃあ、その続きから話しましょう。まぁ、中学生時代の話で思い出すことといえば、他の学校に転校が決まった友達を送る際にたまたま持っていた防犯用のタスキに自分の名前とその子へのメッセージを書き、そのタスキに他の友達からもメッセージを書いてもらって、転校が決まった生徒に渡したり、同じクラスの癖のある女の子の歩き方を真似してその子から怒られたり(デリカシーが皆無)、文化祭では指揮者をしたり(下手すぎて何回も先生に注意された)、学年劇ではりすの役や先生の役、主役の回想シーンもやった。副会長の時には送辞を読んだ。送辞で思い出したが、掃除の際に、野球みたいにほうきで黒板消しを打ったところをちょうど先生に見られてめちゃくちゃ叱られたこともあった。あとは、調理実習の際に、玉ねぎのネットを友達の頭につけて怒られたりした。(こんなことやってた奴がよく会長になれたなぁとしみじみ感じる)。先生のモノマネとかよくやってたな。英語の授業で先生が教えてくれた「ネバーエンディングストーリー」という歌をみんなの前で踊りながら歌ったこともあった。自由研究は、歴史人物辞典や、地元の神社辞典なども作った。歴史や地域史が好きという点はこの時期も今も変わってない。今振り返ってみて、このときの自分はおふざけもので、本当にちゃらんぽらんだったんだなぁと感じる。


そうそう大事なことを言い忘れてました。中学生時代で一旦将来の夢が決まったんですよ。僕は中学一年生の時に担任の先生に憧れて先生になろうと思ったんです。この先生との思い出話を少しさせて下さい。中1の時に生徒会選挙があって、自分は副会長に立候補して落選したんですよ。で、二年生になって担任の先生が違う人に変わったのですが、自分はもう一度副会長にリベンジします。すると、運のいいことに当選したんですよ。ちなみに、当選したかどうかは校内放送で知らされるんですけど、これがすごい緊張するんですよね。「副会長は.....(ものすごくためる)、〇〇さんです!!!」って感じで報告されるんですよ。一度落ちた身からすると、こんなに心臓がバクバクすることはまぁないですね。特に、上で述べたように名前の前に間をめちゃくちゃ開けて発表するんですよ。これ意地悪ですよね。まぁ、細かいことは置いといて、副会長にリベンジし、その当選発表の時自分はクラブの練習をしていて、ちょうどレフトを守ってたんですよ。で、放送で「副会長は........森田佳希さんです!!!!」って呼ばれた直後に、一年生の時の担任の先生が職員室から出てきて、まるでメロスがセリヌンティウスと再開する時のように、笑いながら全速力で自分の方をめがけて走ってきて、レフトの定位置に到着するなり、「おめでとう。お前ならいけると思ってた。副会長頑張ってな。」といって、握手してくれたんです。この時、僕は「この人のように優しくて、(優しさの中に厳しさがある)かつカッコいい先生になりたい」と心から思ったんです。


こういった経験を経て、自分は高校に入学することになりました。高校は地元から結構離れたところだったので、下宿で生活を送っていました。そこで知り合った仲間と一緒に僕は高校でも野球部に入りました。

高校時代はとにかく部活を通して、色んなことを学びました。学びすぎて、何を学んだか忘れてしまうくらい学びました。高校時代の自分はとにかく受信的でした。自分の意見を持たず、とにかく周りの様子を伺う癖のある生徒でした。そして、中学生から変わらずいじられキャラでもありました。先生からやりなさいと言われたことだけをやってしまう本当に受け身な生徒でした。この時の自分には、好奇心などつゆほどもなかったのかもしれません。もうこの時には僕は中学生の時のような「自分がやりたいことをやる」というスタンスを完全に忘れてしまっていました。だから、「自分はこうする!」という意思もなく、自分で決断するということを全くせず、「みんながこうしているからこうしよう」というスタンスで高校生活を送ってしまい、何事においても受信的になってしまうという習慣が定着してしまったのです。今思えば、本当にもったいないことをしたと思います。もう一度、高校生活を送れるのなら、ぜひやり直したいと何度も思ったことがあります。でも、過去は変えられません。変えられるのは今と未来だけなんですよね。


これだけを見ると、高校時代にはネガティブなイメージしかないのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。受け身のスタンスであった自分に対して話しかけにきてくれたり、相手をしてくれた友達のおかげで非常に楽しい高校生活が送れたと感じています。関わってくれた皆さん、ありがとう。


もっと主体性や好奇心をもっていたら、高校生活はもっと充実したものになったでしょう。今考えると、勉強においても部活においてもついて行ける自信がなかったから、自分は受信的になってしまったのかもしれない。おそらく自分は何かしらの劣等感を感じていたのかもしれない。

今現在の自分にも、劣等感という感情は心の何処かにある。この劣等感を徐々に無くしていくことが僕にとっての成長の鍵なのかもしれない。


森田佳希史3に続く

森田佳希史

非常にお久しぶりです。もりよしです。「なんでこんなにブログの間隔が空いたのに、またブログを書こうと思ったの?」と聞かれても、これが僕にもわかりません。無意識のうちにはてなブログを開き、今現在こうして文字を綴っています。


「自分は一体何を書きたいと思ったのか?」


今、気がつきました。僕はおそらく自分史か書きたいのです。なぜ、自分史を書きたいと思ったのか。それは、もうすぐで社会に出るという焦りを感じ、そのために自己分析をして、自分はどのような人生を送りたいのか、どんな職に就きたいのかなどなどについて改めて真剣に考えてみようと思ったからです。

恥ずかしいことに自分は大学に入ってからも自己分析、まぁ言い換えれば自分を客観的に見るということを全くせずに日常を送ってきたこともあり、そのせいで色々な人に迷惑をかけてきました。そんな僕が、今自己分析をするのは、今までの失敗をフィードバックし、これまで犯してきた数々の失敗のおかげで、将来何かしらの成功を収めることが出来ますようにという一種の希望が芽生えている証拠とも言えるかもしれません。自分がこんなことを真剣に考えられるようになったことは、少し前までの僕には考えられないことで、そう考えると少しは成長できたのかもしれません。


少し話はそれますが、太宰治の「人間失格」の第一の手記の有名な書き出しで「恥の多い生涯を送ってきました。」ってありますよね。自分はこれくらいのことを言えるぐらいもっと失敗をしなければならないとふと考えることがあります。他の人と比べて人生経験の浅い自分はもっと色んな壁にぶつからなければならないのに、その壁から逃げてるばかりなのです。最近そんな自分のことがふと情けなく思えてくるのです。これが自分の1つの個性ではあるのですが、この性質は直していきたいと思うんです。


話をどんどん逸らしてしまいますが、DREAMS COME TRUEの「何度でも」っていう歌の中に、「10000回だめでヘトヘトになっても、10001回目は何か変わるかもしれない」っていう歌詞ありますよね。最近「これ僕の為の曲じゃん」とふと感じます。自分は、一万回失敗することを恐れているんです。結局、自分は自分に甘いということがよく分かるし、凡人なのに一万回失敗しようとするがめつさもないのです。


こんな自分を変えたいという決心から今このブログを書いているといっても過言ではないです。

では、本題である将来のヒントにつながる何かを得れるように、過去を振り返っていこうと思います。(前置きが長くなってすみません)


自分は1999年9月23日に和歌山県の病院で生まれました。その後、三重県の津市で幼稚園の年中まで過ごしました。ここまでの自分のことで思い出せることといえば、自分はおそらく元気でどちらかといえばうるさいくらいの子供だったような記憶があります。今もそうですが、この当時からお笑いが好きでテレビにかじりつくようにバラエティ番組をみてたり、ハリケンジャーガオレンジャーなどの戦隊モノ、トミカプラレールにもハマっていた記憶がある。ゲームも好きだったかもしれない。幼稚園の頃から、初代のプレステで三国志をやっていた気がする。あと、なんといっても歌が大好きで、幼稚園や家に限らず、どこでも歌を歌っていた気がする。幼稚園の卒業式かなんかで急に歌を熱唱して、周りの保護者や先生などから笑われたという記憶が鮮明に頭に浮かぶのだが、これは本当のことだったのだろうか。幼稚園はとにかくこんな感じだった。親からすれば、育てるのに大変な子供だったかもしれない。ありがとう。お父さん、お母さん。そして、おじいちゃん、おばあちゃん。


小学校の時も、割と変わらない気がする。とにかくうるさくて、おかしなことを言ったり、おかしなことをしたがる子供だった。もしかしたら、幼稚園よりもうるさくしてた可能性もある。小学校で暮らした6年間を振り返って、特に記憶に残っているのは、当時自分は野球クラブに入っていたのだが、その監督に言われた一言である。確か、何かの大会に勝った後の打ち上げか何かで、一人一人の部員の印象を監督が語るというコーナーがあったのだが、その時に監督が僕の印象についてこう語った。


「この子の良いところでもあり、悪いところでもあるのは、無欲だということです。」


この一言が非常によく覚えているし、現在の自分の心の何処かにいつも付着している。子供というのは、ものすごく繊細なもので、特に自分はそうであったのかもしれないが、

こういった大事な言葉というのは、自然に無意識に感じ取ることがあるのかもしれない。たしか、お母さんも、自分の長所、短所について語ってくれた気がする。


「よしきの長所と短所は、マイペースなところだよ」


この一言もめちゃくちゃよく覚えている。この影響が強くて、今誰かに「お前の長所と短所って何?」って聞かれればすぐに「マイペースなところかな」と答えるだろう。あと自分は同級生からよくいじられたりしていた記憶もよくある。この時期の子供は、いじられると怒ったり、拗ねたりするイメージがあるのだが、自分はそうではなかった。


いじられようとみんなが笑ってくれるならそれで良い」というスタンスで学校生活を送っていた。今から考えると非常に恐ろしい。自分の友達は、本当に優しくて面白い子だらけでいじる程度で終わってくれたがもし、そこで終わらなかったと考えると本当に夜も眠れないほどです。そう考えると、自分は本当に周りのいた友達が本当に良い人だったおかげで楽しい学校生活が送れたと言っても過言ではないです。

こんな僕と友達でいてくれたみんな、ありがとう。


あと、社会の授業で習った銀閣寺に非常に興味を持ち、その日学校が終わってから走って家に帰り、料理を作っていたお母さんに向かって、教科書に書かれていた銀閣寺の写真を見せて、

「お母さん、ここ行きたい!」

と懇願して、夏休みに連れて行ってもらったこともよく覚えている。

実際に、銀閣寺に着くと、片手に持っていた教科書の写真と見比べて、「やっぱりほんまのはすごいや!」と感動していたことを後日お母さんから教えてもらったことがある。

ここから、自分は歴史に興味を持ち、両親や祖父母に常々「歴史の本を買って!」と駄々をこねていた。

この一連の話を思い出して、自分って面白いなと思ったのが、普通この時期の子供は金閣寺を好きになるはずなのに、金閣寺には目もくれず銀閣寺に食いついていたという事実である。


中学校も小学校と比べてあまり変わっていないと思う。中学校でも、野球部に入った。この3年間も、うるさくて、元気なやつ、そしていじられキャラって感じで周りからは思われていたのではないだろうか。この3年間で特に印象に残っているのは、部活で県大会に出場したことと、生徒会副会長、会長になったということである。県大会で負けた時には、ものすごく悔しかった。無欲である自分がここで悔しいと思えたのは、成長でもあり、退化であるとも言えるかもしれない。生徒会運営は本当に楽しかった。なぜ自分が会長になれたのか、今考えてみるとやはり、いじられキャラという要因が大きいのだろう。「しょうがないなぁ、森田が出るんなら入れてやるよ」と友達や先輩方に言ってもらえたのは本当に嬉しかった。こう言った言葉のおかげで、学校をより良いものにしよう!と意気込んで自分は学校内のイベントの企画などを真剣に考えた記憶がある。この時の、がむしゃらな精神は何処へ。今現在の自分にはこのがむしゃらさがものすごく乏しい。がむしゃらな精神は冷蔵庫の中や押入れから出てきてはくれないものだろうか。今振り返ってみて、思ったことは、中学生の時の自分は成長期でもあり、人生のピークなのかもしれないということである。自分は中学生時代をもっと振り返ってみるべきなのかもしれない。


森田佳希史2に続く。

「ノルウェイの森」を読んで

どうも、お久しぶりです。もりよしです。


元号が令和になってから、みなさんいかがお過ごしでしょうか。


僕は平成から令和に変わった5月1日は、実家に帰っており、特に何をするわけでもなく、村上春樹さんの「ノルウェイの森」を読んでいました。


だから、僕にとっては平成から令和に変わった5月1日は、特別な日でもなんでもなく、「そういえば、もう令和かぁ」とか言いながら、いつもと同じ感じで1日を過ごしていました。


そんな僕が「自分は今令和の時代を生きてるなぁ」と実感したのは名古屋駅である本屋を見た時でした。


本屋に、天皇に関する本がずらっっと並んでいて、「あぁっ、なんて令和なんだ!!」と感じました。  


そんなこんなで、ようやく僕も現在令和真っ盛りの人間として存在しているわけでございます。


まぁ、こんな落語家の小話みたいな話はさておいて、今日は、村上春樹さんの「ノルウェイの森」を読んだ感想についてお話させていただきたいと思います。


この本を読んだ率直な意見としては、「すごく考えさせられる本だなぁ」感じました。


なぜなら、村上春樹さんの本に出てくる主人公が僕の性格に割と似てて、共感する部分がたくさんあったんからなんです。


そのせいか、なんか本を読んでて「自分もこの場面はこういった行動をとるのかな」とかたまに思索に耽る瞬間があるんですよね。


その時間が、僕にとっては、未来の僕が体験するであろうことの先取り模擬体験、いわば人生の予習みたいな感じがして、すごく勉強になるんですよね。


だから僕にとって、村上春樹さんの本は、ただ本の内容を楽しむために読むというだけでなく、自分を客観的に見るために読むという側面があるように感じます。


てなわけで、僕は今結構村上春樹さんの本を読むことにはまっている次第であります。(ちなみに、少し前までは東野圭吾さんにハマってました。)


では、この本のあらすじについて話していきたいと思います。(まぁ、村上春樹さんの本はメッセージ性がありすぎてどうやって話の要約をすればいいのかが全く分からない所存でありますが、、、)


非常にざっくりいえば、とある男子大学生(ワタナベ)が主に恋愛などのさまざまな経験を通して、成長していく物語って感じでしょうか。


ただ、この説明だとありきたりな小説っていうイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれません。


でも、そうではないんですよ。(その違いを丁寧に説明しろと言われれば僕には答えられませんが....)


なんていうか、村上春樹さんって表現が独特なんですよね。(僕はこの村上春樹さんのなんとも言い難い独特な言い回しに惹かれました。)


例えば、主人公が大学の女友達にこんなことを言うんですよ。


「春の熊ぐらい好きだよ」


僕「春の熊っっ??何その例えっっ??」


僕は、この文を読んで素直に「なるほど」って解釈出来ませんでした。


おそらく、皆さんも「一体何を言ってるんだ?」と村上春樹さんに心の中でツッコミを入れたのではないでしょうか?


こういった要所要所で、答えのないイメージを自然に考えさせるような一文を入れてくるのが、村上春樹さんの趣だと僕は解釈してます。(まだ、村上春樹さんの作品を2作しか読んでいないのに、勝手に村上春樹さんの魅力を解釈したかのように語る僕)


とにかくこの作品は色んなこと(死、友情、恋愛、社会、家族など)について非常に考えさせられる本だと思います。


というわけで、皆さんも良ければ村上春樹さんの本を読んでみてください。(2作しか読んでないくせによくこんなことがいえるなぁ、僕)


それでは、今回はこの辺で終わりにさせていただきます。


ありがとうございました。











長野県の松本市を訪れて

久しぶりです。どうも、もりよしです。


今日は、最近訪れた長野県松本市の紹介と訪れて思った僕なりの感想を述べていきたいと思います。


ところでみなさんは松本市といえば、何が思いつきますか?


僕が松本を訪れる前にパッと思いついたのは、松本城、信州そばだけでした。


「ほかに何があるんだろう?」と思って、調べてみると山賊焼というトンカツっぽいような(?)名物料理が出てきたり、縄手通や中町通といった城下町ならではの趣がある古風なスポットが見つかりました。(他にも、上高地松本市立美術館など、さまざまなスポットがあります。)


「とりあえず、松本城を訪れて、近くで信州蕎麦と山賊焼を食べて、縄手通と中町通を通ろう。」というざっくりとした計画を立てて松本へ向かいました。


松本駅に到着してから、松本市に住んでいる友達と合流して、40分くらいかけて松本城へ徒歩で行きました。


松本をぶらりと歩いてみて思ったことは、のどかであるが田舎でもなく都会でもないということです。


四方八方には遠くにそびえる山があり、とても綺麗でした。


碁盤の目上に並べられた通りをずんずん歩いて、ようやく松本城に着きました。


f:id:moritayoshiki:20190330133550j:plain


どどん!


いやぁ、非常に興奮しちゃいました。


僕は、城マニアじゃないので、「松本城のどんなところがいいの?」と言われれば、うまく答えられることができませんが、非常にどっしりとしていて、強固なイメージを持つ城でした。


僕は、気分のままに天守閣の中に入り(有料)、屋上まで階段で登り、てっぺんからの景色を楽しみました。



f:id:moritayoshiki:20190330134440j:plain

f:id:moritayoshiki:20190330134716j:plain


すごい景色よくないですか?


友達曰く、桜が満開の頃に来れば、最高らしいです。


松本城を訪れた後は、近辺で信州そばをいただきました。


f:id:moritayoshiki:20190330134949j:plain


ちょっと箸でつついてしまった後なので、そばが少し崩れていますがご了承ください。


味の方は、まぁ言わずもがなおいしいわな。


思ったより麺にコシがあって、個人的には最高でした。


昼食の後は、縄手通と中町通に行きました。


f:id:moritayoshiki:20190330135544j:plainf:id:moritayoshiki:20190330135511j:plain


いかにも城下町って感じですよね。


僕は、こういうレトロな景観が大好きなので、すごく気に入りました。


こんなことを言うのもなんですが、松本市は老後の街っぽい雰囲気がぷんぷんしてるように感じました。


田舎でもなく、都会でもないっていう場所っていいですよね。


個人的には、松本のような雰囲気のところで老後の生活を送るのが理想です。


まぁ、松本市のだいたいの観光スポットをあどばーたいずめんとできたので、このへんで終わりにします。


ぜひ、また訪れたい場所の一つです。(今度は上高地に行きたい!)


皆さんも良かったら独特の雰囲気を持つ松本市を訪れてみてください。


今回もありがとうございました。

ゴールデンスランバーを読んで

お久しぶりです。もりよしです。

今回は、本屋大賞山本周五郎賞を受賞した伊坂幸太郎さんの「ゴールデンスランバー」についての話をしていこうと思います。

この本買えばわかるのですが、とても分厚いんですよね。

総ページ数は678ページです。

読書が好きな僕にとっても、「うげぇ」と思わず唸ってしまいそうなページ数です。

しかし、読み進めてみると、案外好ペースで読むことができました。

どんだけ分厚い本でも、内容が面白ければ、意外と読めるものなのだと感じました。

伊坂幸太郎さんは、作家のなかでも特にユーモアに長けている作家だとつくつぐ思います。

この作品のみならず、伊坂さんの作品を読んでいる際に、思わずくすくすと笑ってしまうようなことが多々あります。

全作品に独特の世界観を持った登場人物が必ずいるんですよ。

今回の作品で言えば、「殺人は許せても、痴漢は絶対に許さない」という信念を持った人や、「森の声が聞こえる」とまるで未来を予測できるようなことを言い出す人物などですね。

こういったユニークな人物が、深みのある言葉を発するというこのギャップもいいんですよ。

まあ、伊坂幸太郎さんの作品を読む機会があれば、その辺りに注目して読み進めるとより楽しめるかなぁと思います。

それでは、この作品の概要を説明していきます。

この作品を一言で言えば、冤罪の物語です。

ある日、仙台市で行われた首相パレード中に首相が暗殺されるという事件が発生した。

その事件の容疑者として青柳雅春という青年が挙げられ、全国にその名が知れわたる。

しかし、青柳雅春は本当は犯人ではない。

そのことは、誰よりも青柳雅春がよくわかっている。

事件の直後、青柳は親友の森田森吾(森の声が聞こえる主)から「お前オズワルド※にされるぞ」と忠告を受ける。

すなわち、国家や秘密組織といったものが都合合わせのために、青柳雅春を逮捕して始末をつけようと企てているということだ。

親友からの忠告を受け、青柳雅春は「とにかく逃げる」という方法をとる。

果たして青柳雅春の逃亡劇はどのような結末を迎えるのか?というのがこの物語の醍醐味です。

まああどばーたいずめんとはこの程度にしておきましょう。

最後に、僕の感想を記していきたいと思います。

伊坂幸太郎さんがこの本で読者に伝えたいことは、「メディアにごまかされるな」ということだと思います。

今現在のメディアは、いかに正しい情報を発信するかではなく、いかに人々の注目を浴びるような情報を発信するかということに力を注ぎすぎているのではないかと思います。(まあ、僕はメディアについての知識は乏しいので偉そうなことを言える立場ではないのですが...)

そして、注目度を上げるために、少々物事を脚色して発信してもいいだろうという感情が伺えます。

伊坂幸太郎さんは、「我々大衆は、メディアの情報を鵜呑みにしすぎているのではないか。」と嘆いているのかもしれません。

「そんなことを言うお前はメディアリテラシーはあるのか」と言われれば、全くありません。

しかし、ニュースで流れている情報をそのまま受け取ることはしません。

数少ない知識を駆使して、その情報を批判します。

ここで言う批判とは、罵倒したりすることではなく、本質を見抜こうとすることです。

知識の有無にかかわらず、批判(自分で考える)することが、メディアリテラシーを鍛えていく一つの方法だと思います。

最後の最後にひとつだけ言わせてください。(これからメディアリテラシーが全くない僕が偉そうなことを抜かします。「偉そうなこと言いやがったら、タダじゃおかねえからなぁ!」と僕を威圧するような気持ちで続きをお楽しみください。)

情報の質を上げるには、我々大衆が情報を選ぶようにしなければいけないと思います。

情報で溢れかえっている現代日本は、「情報を取得しよう!」と思わなくても、勝手に情報が入ってきます。

圧倒的に情報の供給が需要を上回っている状態です。

需要と供給のバランスが悪いと我々が受け取る情報も質が悪いままなのではないでしょうか。

僕自身もメディアリテラシーを強固なものにしていくために、常識を疑う視野をもって、生活を送っていこうと思います。

今回も読んでいただきありがとうございました。

※オズワルド・・・ケネディ暗殺の際に犯人?として捕まえられ、護送中に射殺された人物