もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

森田佳希史2

どうも、もりよしです。

では、前回の続きに参りましょう。

前回は自分の幼稚園時代から中学校時代までを振り返って見ました。確か、部活動の県大会での話と生徒会長になった話をしたんでしたっけ。そうですよね。


じゃあ、その続きから話しましょう。まぁ、中学生時代の話で思い出すことといえば、他の学校に転校が決まった友達を送る際にたまたま持っていた防犯用のタスキに自分の名前とその子へのメッセージを書き、そのタスキに他の友達からもメッセージを書いてもらって、転校が決まった生徒に渡したり、同じクラスの癖のある女の子の歩き方を真似してその子から怒られたり(デリカシーが皆無)、文化祭では指揮者をしたり(下手すぎて何回も先生に注意された)、学年劇ではりすの役や先生の役、主役の回想シーンもやった。副会長の時には送辞を読んだ。送辞で思い出したが、掃除の際に、野球みたいにほうきで黒板消しを打ったところをちょうど先生に見られてめちゃくちゃ叱られたこともあった。あとは、調理実習の際に、玉ねぎのネットを友達の頭につけて怒られたりした。(こんなことやってた奴がよく会長になれたなぁとしみじみ感じる)。先生のモノマネとかよくやってたな。英語の授業で先生が教えてくれた「ネバーエンディングストーリー」という歌をみんなの前で踊りながら歌ったこともあった。自由研究は、歴史人物辞典や、地元の神社辞典なども作った。歴史や地域史が好きという点はこの時期も今も変わってない。今振り返ってみて、このときの自分はおふざけもので、本当にちゃらんぽらんだったんだなぁと感じる。


そうそう大事なことを言い忘れてました。中学生時代で一旦将来の夢が決まったんですよ。僕は中学一年生の時に担任の先生に憧れて先生になろうと思ったんです。この先生との思い出話を少しさせて下さい。中1の時に生徒会選挙があって、自分は副会長に立候補して落選したんですよ。で、二年生になって担任の先生が違う人に変わったのですが、自分はもう一度副会長にリベンジします。すると、運のいいことに当選したんですよ。ちなみに、当選したかどうかは校内放送で知らされるんですけど、これがすごい緊張するんですよね。「副会長は.....(ものすごくためる)、〇〇さんです!!!」って感じで報告されるんですよ。一度落ちた身からすると、こんなに心臓がバクバクすることはまぁないですね。特に、上で述べたように名前の前に間をめちゃくちゃ開けて発表するんですよ。これ意地悪ですよね。まぁ、細かいことは置いといて、副会長にリベンジし、その当選発表の時自分はクラブの練習をしていて、ちょうどレフトを守ってたんですよ。で、放送で「副会長は........森田佳希さんです!!!!」って呼ばれた直後に、一年生の時の担任の先生が職員室から出てきて、まるでメロスがセリヌンティウスと再開する時のように、笑いながら全速力で自分の方をめがけて走ってきて、レフトの定位置に到着するなり、「おめでとう。お前ならいけると思ってた。副会長頑張ってな。」といって、握手してくれたんです。この時、僕は「この人のように優しくて、(優しさの中に厳しさがある)かつカッコいい先生になりたい」と心から思ったんです。


こういった経験を経て、自分は高校に入学することになりました。高校は地元から結構離れたところだったので、下宿で生活を送っていました。そこで知り合った仲間と一緒に僕は高校でも野球部に入りました。

高校時代はとにかく部活を通して、色んなことを学びました。学びすぎて、何を学んだか忘れてしまうくらい学びました。高校時代の自分はとにかく受信的でした。自分の意見を持たず、とにかく周りの様子を伺う癖のある生徒でした。そして、中学生から変わらずいじられキャラでもありました。先生からやりなさいと言われたことだけをやってしまう本当に受け身な生徒でした。この時の自分には、好奇心などつゆほどもなかったのかもしれません。もうこの時には僕は中学生の時のような「自分がやりたいことをやる」というスタンスを完全に忘れてしまっていました。だから、「自分はこうする!」という意思もなく、自分で決断するということを全くせず、「みんながこうしているからこうしよう」というスタンスで高校生活を送ってしまい、何事においても受信的になってしまうという習慣が定着してしまったのです。今思えば、本当にもったいないことをしたと思います。もう一度、高校生活を送れるのなら、ぜひやり直したいと何度も思ったことがあります。でも、過去は変えられません。変えられるのは今と未来だけなんですよね。


これだけを見ると、高校時代にはネガティブなイメージしかないのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。受け身のスタンスであった自分に対して話しかけにきてくれたり、相手をしてくれた友達のおかげで非常に楽しい高校生活が送れたと感じています。関わってくれた皆さん、ありがとう。


もっと主体性や好奇心をもっていたら、高校生活はもっと充実したものになったでしょう。今考えると、勉強においても部活においてもついて行ける自信がなかったから、自分は受信的になってしまったのかもしれない。おそらく自分は何かしらの劣等感を感じていたのかもしれない。

今現在の自分にも、劣等感という感情は心の何処かにある。この劣等感を徐々に無くしていくことが僕にとっての成長の鍵なのかもしれない。


森田佳希史3に続く