もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

もうヤクなんてしない

どんなときも、僕が僕らしくあるために頑張ります。


てな訳で、どうも、もりよしです。


いや〜、ビックリしましたね。

先日、槇原敬之さんが覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕されました。

正直、非常にショックです。

僕自身槇原敬之さんの歌は子供の頃から母親の影響で車とかでもよく聞いてましたし、今でもよく聞きます。

覚醒剤って本当に怖いですね。

一回やってしまったがもう最後なんだなと実感しました。

余談ですけど、槇原敬之さんの音楽センスは凄まじいです。

「お前が槇原敬之のなにを知ってんだ」って話ですよね。

僕が読み手だったらそう思うかも。

ちなみに槇原敬之さんの歌の中で、僕が好きなのは、「SPY」とか「No.1」、「hungry spider」「モンタージュ」とか、まあ有名どころで言えば、「もう恋なんてしない」とか好きですね。

一時期この歌をずっとリピートで聞いていたこともあります。

今思い返すと少しサイコだったと思います。

「どんなときも」とかもいいですよね。

一年ほど前に、自分に自信が全くもてなくて(まぁ、今もあまりないですが)ずっとネガティブな感情になっていた時に、この歌をずっと聞いて、自分に活力を与えるルーティンをしてから家を出るなんてこともしょっちゅうありました。


もうこんな過去の恥ずかしいことなんて、言わないよ絶対。


なんてったって歌詞がいい。

 

「好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたい」


この当時の僕には、「誰になんと言われようが、自分はこれが好きなんだ!」というものがありませんでした。

いや、現実に言えば、あったのかもしれません。

でも、誰かから「よしき、それ実は好きじゃないよね?」と言われたら、「たしかにそうかも。」と思ってしまうのがこの当時のもりよしでした。

今となっては、恥ずかしい過去です。

他人になんて言われようが、僕はこれが好きだと自信を持って言えるものを作ろう!と意気込んで日々生活を送っていたそんな僕にとって、この歌詞は心にしみるなんてもんじゃない。 


「迷い探し続ける日々が答えになること僕は知ってるから」


意気込んで自分が好きなものを見つけるために、色々と試行錯誤を繰り返していた自分でしたが、結果が伴わない。

どうしようかと焦る日々。

今思い返せば本当にバカでした。

自分が好きなものなんて、考えて見つかるものじゃない。

無意識のうちにやってることが、本当に自分が心の底からすきなことなんだということに今ようやく気づきました。

しかし、過去の自分はそんなことなど考えず、迷走を極めていました。

でも、過去のもりよしは諦めませんでした。

なぜなら、この歌詞のように迷走することが、答えにつながると心から信じていたからです。

槇原敬之さんは、この歌詞をどういう気持ちでかいたのでしょう?

僕の推測ですが、自分の好きなこと、少し大げさに言えばアイデンティティの1要素を誰かから与えてもらうんじゃなくて、自分から取りに行こうよっていうメッセージを伝えたかったのだと思います。

たしかに、自分は迷走を繰り返しました。

そして、自分が求めている答えはなかなか見つかりませんでした。

でも、それでいい。

答えが見つかる見つからないどうこうじゃなくて、自分から行動することの大切さをきっと槇原敬之さんは我々に問うたのでしょう。

そして、もっと言えば、迷走したからこそ、答えが見つかるということを伝えているのでしょう。

迷走しつつも、ふとした瞬間に

「俺なにやってんだ?」

と思わせるのがこの曲の裏テーマなんでしょう。

とにかく、僕はこの歌とともに、成長してきましたし、この歌のおかげで今の僕があるといっても過言ではないのです。


過去のエピソードはこの辺りにしておいて、本題に参りましょう。


槇原敬之さんが逮捕されてから、槇原敬之さんが出した作品等の販売が次々と停止されています。

少し遡れば、チャゲアスのアスカさんもそうでした。

そこで僕は思ったんです。


「本当に作品に罪はあるのか」と。


それに加えて、「販売を停止しているけどこれって誰の意志で?」という疑問です。


皆さんはどう思いますか。


僕の意見としては、

「作品に罪はない」と思います。


なぜなら、たとえ槇原敬之さんが覚醒剤をやっていた時にできた作品が出回っていた場合も、それを作品として一時的にでも捉えたのは作品を嗜む側だから。

なんで槇原敬之さんがここまで有名なのか。

それは当たり前のことで、槇原敬之さんの作品によって、心を打たれた人がたくさんいたから。

これは私たちが槇原敬之さんの作品を認めたといっていいでしょう。

もし本当に槇原敬之さんが覚醒剤を使用した上で、作った歌があって、それが出回っていたとしても、私たちは、そんなことなどつゆ知らず、その歌を聴いて、「槇原敬之は天才だ。流石だ。」と思うのであれば、それは罪のない作品だと言えるでしょう。


「それはお前が槇原敬之のことが好きだからいってるだけだろ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

でも、僕はそんなこと関係なく「どんな作品においても、罪はない」と思います。

だって、今までの我々が罪があるかどうかわからない作品を作品として認めたのだから。

これが今の日本の世の中であり、民主国家なんです。


そして。もう一つ。

誰が販売停止を決めるのかということ。

これ覚醒剤以外でもそうですよね。

最近誰かと誰かが不倫した場合、当事者の作品とかCM、テレビ番組にも影響が出るパターン。

これってなんで影響がでるの?

たとえ不倫しようが覚醒剤をしてようが、イメージが絶対に悪くなるのかといえば、そうじゃないと思う。

こういう時こそ、民衆の意見を聞くべきではないかと。

民衆の過半数が、この人には、テレビに出て欲しくないといえば、その人は世間からのイメージが悪いと判断した場合において、CMとか作品に手を加えるならまだしも、なにも民意をとり入れず、覚醒剤やったからアウトとか決めるのは少し早とちり過ぎませんか。

一体誰が決めてるのですかね。

少しでもいいから民衆の意見を聞くべきでしょう。

不倫したからもうだめみたいな暗黙のマニュアルでもあるんですかね。

芸能界は怖い。


今回はなんか左向きの話になりましたが、ありがとうございました。


p.s.無意識のうちに、ツルブン色に染まってきました。