もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

最近もりよしがよく考えること

どうも、もりよしです。


今日は、タイトルの通り自分が最近よく考えることについてお話しさせていただきます。


自分が最近よく考えること。それは、「セミの寿命ってなぜあんなにも短いのか。」っていうことではなく、「人生において、一体何が正解なのか」っていうことです。


岐阜駅のスターバックスで文字を綴っている今だって、僕は考えています。「今自分は様々な行動の選択肢の中から、岐阜駅に来ることを選択し、そしてスターバックスに来てスターバックスラテを飲みながらブログを書くことは、果たして正解なのだろうか。もっと他にするべきことがあるのではないだろうか」と。この前の成人式でとある友達から、「もりた、哲学者になればいいやん」と言われたのですが、友達がこういったことを言ってくれた所以はきっと僕自身のこういうしょうもないことを真剣に考えてしまうという性格からきているのでしょう。もっと真剣に考えるべきことが僕にはたくさんあるというのに。僕には哲学者にはなれません。どう頑張っても。物事の本質を知ることには非常に興味がありますが、それを見抜くための能力は欠如しています。


少し話が逸れました。「何が正解なのか」という話についてなのですが、例えば他にも、大学の講義でこの教授の話を聞くのは正解なのか。この教授の話に自分の興味アンテナは向いてるのだろうか。話を聞くより、自分が興味のある分野の本でも読んだ方がいいのではないだろうかとか。最近こんなことをずっと考えています。


こんなことばっかりやってた僕はある日気づきます。「人生において、正解なんてない」ということに。例えば、「レールの敷かれた人生」って言葉ありますよね。勉強を一生懸命頑張って、より偏差値の高い大学に入って、収入のいい会社に就職するというような人生がまさに「レールの敷かれた人生」の代表例なのではないでしょうか。でも、僕思ったんです。これは果たして正解なのかと。(何も自分はこういった人生を歩んでる人を軽蔑しているわけではありません。むしろ、自分はここでいうレールの敷かれた人生をどんなに頑張っても送れない人間なので尊敬の念を持ってます。)たしかに、レールの敷かれた人生を送る人は凄いと思いますが、このような人生について全ての人が正解であるとは言うことはないと思うんです。


「物事に正解はないんだったら何してもいいんだね?」という思う方がいらっしゃるかもしれませんが、不正解はあります。例えば、人を殺したり、ゴミのポイ捨てをしたり、痴漢したりすることは不正解だと言えるでしょう。


「お前は一体何を言いたいんだ?」という声がどこかしらから聞こえてきた気がするので、結論を述べさせていただきます。人生に正解は無いけど、自分なりの最適解を出して日常を過ごすことが自分にとって幸せであり、最高の人生なのではないかと思うのです。


「いってること矛盾してるじゃん。」と思われる可能性が十分にあるので弁解させてください。ここでいう最適解とは「自分が心の底からやりたいこと」を見つけ出し、それを忠実に行動することです。正解とは意味が異なります。(こんなこと言ってますが、自分が本当に心の底からやりたいことをやれてるかと言われて自信を持って「やれてます!」と言えるほどの意志は今現在の僕にはありませんが)


僕はちっちゃな頃から歴史に興味があり、大学でもより歴史についての知識を増やせるようにという志で勉強しています。これが僕なりの最適解です。僕自身が歴史の知識を得ることが将来、人の役に立つかどうかは分かりませんが、ほぼ全ての行動おいて自分はこういう軸に基づいて行動をしているつもりです。これが良いことなのか、悪いことなのかはわかりません。でも、こういう軸を作ることで自分は決断力が向上したと感じています。まあ、そもそもの決断力が低すぎたことはスルーしていただいて...。(将来自分が最適解だと思っていたことが世間の大多数からこれは違うと認識された暁には笑ってください。)


なんか今回は特に自分のしょうもなさをひけらかした気がして、このブログを読んでいただいている方々の中には、「今更そんなこと言ってんの?」って感じた方もいらっしゃるかもしれませんが、これが僕なんです。すみません。読んでいただきありがとうございました。