もりよしのあどばーたいずめんとだいありー

主に、本の感想や旅行に関することを投稿します。

世紀の一戦 人間vsコロナ

何が起こっても~♪変じゃない~♫そんな時代さ~🎶覚悟はできてる♬

Mr.childrenさんの「[es]~theme of es」より引用)

 

どうも、コロナウイルスが世界中に蔓延してるのにもかかわらず、相も変わらず能天気なもりよしです。

 

テレビをつければどのチャンネルでも「コロナ、コロナ、コロナ」ですね。

日本でも先日緊急事態宣言が発令されました。

ここまで人間に脅威を及ぼすウイルスは本当に恐ろしいです。

一体日本は、いや世界はどうなってしまうのでしょうか。

僕自身この一連の流れを俯瞰で聞いてて、(いや、主観で考えろよ)政府は何をするのが正解で、自分自身は何をするのが正解なのかが全く分からなくなってしまいました。

こんなことを言ってしまえば、あれなのかもしれませんが、もはやコロナウイルスにかかるか、発症するかどうかは「運」なような気がします。かかる人はかかるし、かからない人はかからない。

「そんなこと言ってちゃ、日本の状況はもっとひどくなる」と言われるかもしれませんが、もう「運」にすがるしかないような状況が続いているのも事実ではないでしょうか。

 

僕は今、「人間は試されている」のだと思います。

かといって、お前はなんか実行しているのかと言われれば、何もしてないので偉そうなことは言えないのですが。

明らかに人間は新しい何かを求めており、私たち一人ひとりが何かを創造しなければ、もっと恐ろしい事態が起こりうるのではないのだろうかということを危惧している今日この頃の僕です。

そんな激動の時代を生きていることは、非常にワクワクすることでもあり、恐れ多いことでもあります。

 

「三密」を避けなさいと政府からの指令が出されてからも、移動を繰り返してしまう人間。

やめなさいと言われたことに対して、やりたくなってしまう。

これが人間の本能なのでしょうか。

でも、本能だからという理由でむやみに外出してはいけないというジレンマが襲い掛かってくる。

人間はエゴと理性のせめぎあいの中で生きているといっても過言ではないのでしょう。

エゴが勝ってしまった人は外出し、理性が勝った人は家で生活をする。

そう考えると、なんだか人間はコロナウイルスに翻弄されているように思えるんですよね。

まあ、これはしょうがないことなんですが。

 

世紀の大決戦 人間vsコロナウイルス

今のところコロナウイルスのストレートが決まり、コロナ優勢になっている。

人間は後手後手に回ってしまっている。

でも、これはしょうがない。だって、初めてのことなのだから。

こういった初めて人間が脅威にさらされるようになった時に、わらにもすがる思いで人間が捕まえるのは、過去の人間の功績、失敗が凝縮されている「歴史」なのだろう。

恥ずかしいことに、大学で地域史を志している僕は、コロナをきっかけにしてようやくこのことに気付きました。

以前にもブログに書いたかもしれませんが、「創造には伝統が不可欠」だと思います。

ここでいう創造とは、コロナウイルス用のワクチン、特効薬を作ること。

伝統とは過去のウイルスの情報のこと。

つまり僕がなにを言いたいのかというと今こそ、「歴史」が必要だということです。

ユウチューブでニューヨーク在住の日本人がアメリカのコロナウイルスによる惨状を説明する動画が注目されていますが、ここでいう動画も「歴史」と言えるのでしょう。

SNSが主流になった今現在私たちは日々様々なことを発信します。

ここで発信されてることも「歴史」でしょう。

すなわち「歴史」=「発信」とも言えるのかもしれません。

僕のブログも「歴史」、日記も「歴史」、メモも「歴史」、冷蔵庫に冷やしている日本酒も「歴史?」

 

まあ、本質から少しそれてしまいましたが、これからも末永く元気で入れるように頑張っていきましょう。

 

ありがとうございました。